見出し画像

教師、ラジオ番組のADになる ~Creative Learning~

こんにちは。福山暁の星女子中学校 新コース推進プロジェクトです。
今年度から中学1年生でスタートした暁の星の新たなコース制。さまざまな取り組みが行われていますが、今回はそこで実施された「アウトプット(発表)」の活動について報告をしたいと思います。


教師の「働き方改革」

今回のアウトプットは、Creative Learning型授業で行った「『問い』をみがく」活動の締め括りとして実施されました。
ここまでの授業で子どもたちは、「今、自分が大切にしたい『問い』」を自分自身で、そして他者と協働で徹底的にみがき上げる体験をしてきました。

そうした体験を通して自分自身の「問い」がどのように変容し、その過程で自分がどういう感情を抱いたか、それを言語化することで自分でも再度確認・評価することが、今回の活動のねらいです。また、各々でみがいた「問い」が言語化され、共有されることで互いに響き合い、新たな「魅力ある『問い』」が創出されるきっかけにもなる活動だと考えました。

ただ、ここで私たちが苦慮したのは、アウトプット活動の形態です。
通常であれば、生徒が一人ずつ教室の前に出て、プレゼンテーション用のソフトを使って発表したり、ポスター発表を行ったりという形態が一般的でしょう。
ただ、今回はそれ以外の発表形態がないかと、模索しました。

子どもたちはこれまでの学校生活を通して、「Teacher(教える人=「答え」を持つ者)」としての「教師」の存在を意識的にも無意識的にも強く感じてきています。
授業内での生徒の発表の多くは、教師が後ろ手に隠し持っている「正解」に近づくための営みだったはずです。
もし、その構図が変わらなければ、自分が「みがき上げた『問い』」に関する今回の発表も、教室の後ろで腕組みをして聞く教師が想定する「正解」に近づくために、本来披露したい内容と異なってくる可能性がある……。それは避けるべきだろうと判断しました。

発表活動を行う際、聴衆を意識することはとても大切なことです。でも、教室内の聴衆は「教師」だけではないはずです。
特に、今回の発表では、子どもたち各々で「みがき上げた『問い』」を生徒同士で互いに交流させ、互恵的な空間をつくることがねらいなのですから、いかに教室における「評価者=権威者」としての教師の存在感を剥ぎ取るかが重要になってきます。

「問い」に焦点を当てたトークを行うラジオ番組

そこで今回、私たちが考えたのが、この発表活動を「ラジオ番組」に仕立て、「教師」はそのラジオ番組の「AD(アシスタント・ディレクター)」に徹するという設定です。

教師、ラジオ番組のADになる

「AD」は「監督」と違い、自分の求める「正解」に近づけるために、演者に指示をしたり、指導をしたりはしません。番組が上手くいくように進行の大枠は示しながらも、「AD」はあくまで裏方として、主役である演者が生き生きと自分を表現できるようサポートします。
そして、演者の近くにいて誰よりも演者に興味を持ち、その発言を面白がり、演者の成功を一緒に喜ぶ存在、それが「AD」です。
「正解のない時代」を生きるこれから子どもたちには、「指導者(=監督)」としての教師の存在があるだけでは不十分です。自分にとって大切な「問い」を発見し、その「問い」に対する自分なりの「最適解」をどこまでも探求する子どもたちをサポートする「支援者(=AD)」としての教師こそが強く求められるのだと思います。

「指導者」から「支援者」へと役割を変更すること。これもまた、今の教師に求められる「働き方改革」ではないでしょうか?

「良い話し手(発表者)」を育成するために

ラジオ番組 パーソナリティ(MC)用台本

今回設定されたラジオ番組で生徒たちは、聴き手として番組を進行する「パーソナリティ」、「自分の『問い』をみがき上げた過程」を語る「トークゲスト」、そしてラジオの向こうでその放送を聞き、感想を番組出演者にフィードバックする「リスナー」の役割を、それぞれ最低1度ずつ体験します。

こうした活動を行う際、通常、最も重要視されるのは自分の「学びの過程」を言語化するターンである「トークゲスト」の役割でしょう。
でも、今回の活動で、ヒントとなるフレーズが「台本」の形で渡され、しっかり作戦を練るよう「AD(教師)」から依頼されたのは、聴き手である「パーソナリティ」です。

「探究的な学び」の活動では、自身の「学び」についてアウトプットし、聴いてくれた人からフィードバックをもらうことで、さらに「学び」をブラッシュアップしていきます。
ですから、どうしても「アウトプット」に注目が集まり、何をどのように話すべきか、教師によって指導がなされるケースも多いと思います。
しかし、その結果行われたアウトプットがはたして子どもたちにとって「自分事」になったのかと言えば、甚だ心もとない限りです。せっかくの学びの機会が「やらされ探究」「やらされアウトプット」になっては、何とももったいない……。

「良い聴き手」としてのパーソナリティ

そこで今回、私たち「AD」は、パーソナリティが「良い聴き手」として振る舞えるよう、彼女たちへのサポートを最も充実させようと試みました。
「探究的な学び」のキーワードに「オーセンティック(Authentic)」というものがあります。「オーセンティック」は「本物の」「正真正銘の」といった意味で、「探究」の活動に子どもたちが「オーセンティック」な要素を感じ取れなければ、学びへのモチベーションが上がらず、得られるものも少ないと言います。

パーソナリティが、ゲストの話を聴きたいという態度を醸し、さらなる話を促すようなあいづちが打てたり、話を広げたり深めたりする問いかけができる「良い聴き手」であれば、ゲスト役の生徒の話も自然と熱を帯びてきますし、「分かりやすく話そう」と表現に工夫を凝らすようにもなります。
「目の前の真摯な聴き手に伝えたい」と思って話すことで、このアウトプットはオーセンティックなものとなり、そうした経験が子どもたちを「良い話し手」へと成長させてくれるのです。

「良い話し手」を育てるためには、まず「良い聴き手」を育てることが重要なのではないか?
逆説的なようですが、私たちはそのような仮説を立てています。

「有能な学び手」としての子どもを信じる

「『有能な学び手』としての子どもを信じる」
この言葉は、「個別最適な学び」の重要性について積極的に情報発信をされている上智大学の奈須正裕先生の文書からお借りしたものです(福山暁の星女子中学・高等学校は2023年10月1日、上智大学との間に「高大連携に関する協定」を新たに締結しました)。
環境を整え、一人ひとりを丁寧に見ていけば、「有能な学び手」である子どもたちは勝手に成長していく……。

その通りだと思います。
今回の「ラジオ番組」を設定してのアウトプット活動でも、それを感じる機会がありました。

「黙ってないで、何か言いなさい!」
生徒のアウトプット活動が遅滞した際、教師がしばしば口にする言葉です。
こんな言葉を投げられても子どもたちはますます委縮するだけで、状況を打開する方策を自ら考えられるようになるとは到底思えません。
けれど、今回の「ラジオ番組」で、「AD(教師)」から「演者(生徒)」への事前説明で、「この放送局では13秒以上無音の状態が続くと『放送事故』として扱われてしまうので、くれぐれもご注意ください」という設定を伝えたところ、生徒は自分たちで勝手に工夫し、パーソナリティとトークゲストとが相互に連携しながら、コミュニケーションの遅滞を回避していました。

ある生徒の振り返り

環境を適切に設定すれば、「有能な学び手である子どもたち」は主体的に学びを開始します。
「研究者になった気分」をしんから味わえる環境をもっともっとつくり出すことができれば、子どもたちは自ら「研究」を始め、「研究者のたまご」として自走してくれるのかもしれません。

新たなコースでの学びを進めていくにあたって、「オーセンティックな学びの環境をどう設定するか」も重要なファクターであると、改めて気づかされた活動でした。